あれから、どれだけ経ったんだろう


どうにも、感覚が分からない




Re;Last Night





大阪城が落ちた日、幸村様に言われたとおり、私は信濃へと向かった。

女一人の旅路だったが、何とか信濃にまでたどり着いた。

それから、言われたとおりに信之様に謁見した。

言われたとおり、文を読んだ信之様は私を女中として城に迎えてくれた。


すべては幸村様が言ったように事は進んだ。


幸村様の死も、そうだった。



その報を聞いたとき、なぜか涙は出なかった。


一つだけ幸村様が外したことと言えば、徳川軍の略奪だろう。


確かに内府殿、徳川家康ならそのようなことはしないだろうが、兵卒は違う。


少しでも自分の手柄を、財産をと暴れまわっていた。
私も、あともう少し城を抜け出すのが遅かったら危なかった。







***






今日も、朝日が昇る。


毎朝、庭の掃除をするのが私の仕事だった。


すう、と思い切り外の空気を吸えば澄んだ空気が体に入ってくる。


「あの子、まだいるよ」
「どんな神経してるんだろうねぇ」
「信之様だって、いくら弟様の頼みだからって敵方にいた子を城に入れるなんて」
「これ、信之様の陰口を言うもんじゃありませんよ」


隠そうともしない、話し声が聞こえる。
この城の他の女中たちだ。
当然、私は快く思われていない。


(そんなことはどうでもいい)


すべてはどうでもいい。


(言いたいだけ、言っていればいい)




あの日から、まるで私の周りから色が消えてしまったようだった。


最後に見た主人の背と、主人が好んだ赤だけが時折視界の端で揺れ動く。



(何で私はここにいるのだろう)


(何でのうのうと生きているのだろう)


きっと私の魂はあの日に幸村様とともに死んでしまったに違いない。
ここにあるのは、ただの入れ物。器。もの。




、」


ふと、名前を呼ばれた。
首を回してその音源を見る。


「あ…信之、様」
この城の現当主、信之様が縁側に立っていた。
会うのは久しぶりになる。


「おはようございます」
「ああ、おはよう」
静かに笑いながら、信之様はその場に座った。


思えば、この方は幸村様と正反対のような気がする。
でもそれでいて、確かにご兄弟だと思うところもある。



眩しそうに目を細める信之様を見ながら、私はどこか概視感を持った。


(そうだ)


確か、昔のこと


(幸村様と、)







***





まだ武田のお館様が健在で、幸村様が武田に仕えていたころ。


幸村様が甲斐の屋敷から上田に帰ってきていたとき。


朝、庭の掃除をしていると、


!」


元気よく名を呼ばれた。
苦笑しながら振り返ると、案の定、縁側に幸村様が立っていた。


「おはようございます、幸村様
 お早いのですね」
「おう、武人たるもの、朝から鍛錬をせねばならぬのでな」


朝から威勢の良いものだ、とほほえましく思ったのを覚えている。


「ところで
「なんでしょうか幸村様」


は、この地が好きか?」
「ええ、勿論」
「俺もだ、
 この地を守るのが俺の役目だとも思っている」


「…幸村様は、そのお役目を立派に果たしていると思いますよ」
「そう、か」


幸村様らしくない返答に、少し疑問を持った。


「何かございましたか?」
「いや、何でもない」
主人はそう言い切って一呼吸置いてから、小さく笑った。
「上田に帰ってくるたびに不安になるのだ、
 自分はこの地を守れているのか、
 真田幸村としての役割を果たせているのか、と」
珍しく弱気な主に、私は笑顔を向けた。

「大丈夫ですよ、幸村様」


「貴方様は、真田幸村様はちゃんとこの地を守ってくださっています」


私がそう言うと、幸村様は眩しそうに眼を細めた。






***






(そうだ)


(あのときと、似ているのか)


目の前の人物は全く別の人物だが。



「ところで、
「なんでしょうか、信之様」
ふいに目線を宙に漂わせながら信之様が呼びかけてきた。


それが何となく、記憶の中の幸村様とのやりとりに重なる。



は、この地が好きかい?」


私は息が止まりそうになった。
いよいよ記憶が鮮明に思い出される。


「私は好きだ、
 この地を守るのが私の役目だとも思っている」
『この地を守るのが俺の役目だとも思っている』


信之様の声に交じり、幸村様の声が聞こえてきた。


「っ……」
思わず、持っていた箒を取り落とした。
カツン、と硬い音をたててそれが転がる。



?」
不審に思った信之様が私に目を向けた。


それが合図のように、感情の波が押し寄せた。


「あの方と全く違うくせに、
 全く違う目をしているのに、
 …同じことを言わないでっ…!」


口を開いた直後にしまったと思うが、もう止められなかった。


「…すみません、失礼します」
私は素早く箒を拾い上げると、唖然と私を見つめる視線から逃げるようにその場を立ち去った。






***






どうしたものか。


先ほどから何度も何度も頭を巡る問いに、私は何度目かの溜息を吐いた。


「どうかいたしましたか、お前様」
ふと、声がかかる。
どうやら私は自室に妻が入ってきたことすら気付かなかったようだ。


その妻、小松は特に心配をするようでもなく、静かに笑っていた。
「いや、少し、な」
「あの子、という子のことですか?」
ああ、そういえばこれに隠し事はまったくの無駄なのだと思いだした。
軽くため息をついて、肯定する。


「あの子がどうかしたので?」
「…源次郎と同じことを言うな、と怒られたよ」


苦笑しながらつい先ほどの事件を伝えると、小松はまあ、と目を丸くした。


「それはおかしなことでしょう。
 お前様と幸村様はご兄弟、同じことを言っても何も不思議でないはずでは」
半ばあきれたように言う妻に、私はあいまいに笑ってやった。


あの子がそう言った気持ちも、中途半端に分かってしまう。
だからこそ、あの行動を咎めることも酷に思えてしまう。
だからといって、このまま放っておいてはまた同じことが起こってしまうかもしれない。


さて、どうしたものか。






***






「ちょっと」
台所の片隅で朝食の片付けをしていると、声がかけられた。


ここの人たちは、私のことを名前で呼ばない。
そもそも、私の名前を知っているのかどうかさえ怪しい。


(あんなに小言を言うのに、おかしなものだ)

そんな皮肉に、こっそり笑いつつ振り返ると女中のまとめ役が立っていた。
名前は覚えていない。

「信之様が呼んでるよ、それが終わったら行きな」


その女中は、本当にしぶしぶといった表情と声で、言った。







***





呼び出される理由は分かりきっている。
解雇か、最悪その場で切り捨てられるか。
(それならそれで、いいのだけど)



です」
信之様の部屋の前で膝を折り、名を名乗る。
「入りなさい」
静かな声が聞こえた。






「さて…、
「なんでしょうか、信之様」
畳数枚を隔てて向かい合う私と信之様。
(ああ、息苦しい)
私は無感情に、信之様の言葉を待った。
信之様が静かに口を開く。
降ってくるのは怒号だとばかり思っていたのだが、


「私はお前に、謝らなければならない」

予想外の言葉に、私は内心で動揺した。


(そんなこと、言わないで)


「すまなかった」
頭を下げはしないものの、一介の女中にあやまるなんて、常識じゃあ考えられない。


(そんなの、やめて)


「お前は私のせいで、」


(もう、)


「もう、やめてください」
絞り出した声は、低い割によく響いたようだった。

「確かに、私は貴方様をお怨みしています」

「憎んでも憎んでも、憎み切れないほどに」

「貴方が徳川方に付いたのも、真田のためとは分かっておりました」


「それでも、貴方様を憎みます」


どうせなら、と言い出した言葉は次々にあふれ出してきた。
だけど、もうこの口は閉まりそうにない。


「私は憎まなければいけないのに」


徳川内府を、


東軍を、


貴方を、


「それなのに」


「そのように、情けをかけられたら」


「憎み切れないではないですか」


あのとき、門前払いをしてくれれば
あのとき、私に手を差し伸べてくれなければ


「そうやって、情けをかけないで…」


偽善だと、分かり切っている。
私を助けて、償いをした気になっているだけ。


「自己満足な情はもうたくさんよ」


分かり切っているのに、
それなのに、
受け入れてしまう自分がいる。


私を置いて行った幸村様も

善者を気取る貴方も

そんな貴方の薄っぺらな情に流された私も


「大嫌いです」


ただなんとなく、信之様の目を見れなくて、 私は畳の目を凝視していた。


ふう、と息を吐く音が聞こえた。
たぶん、信之様が溜息をついた音だ。


そして静かに、彼は口を開いた。
「もし、あのとき私がお前を門前払いしていたら、
 お前はどうする気だったんだい?」
それは、思いもしなかった言葉。
(てっきり切り捨てられると思ってたのに)


「徳川殿へ、仇討ちでも仕掛ける気だったのか」
「お前のことだから、源次郎の追腹を切っていたのやも知れん」
「もしかしたら、私を殺す気だったかもね」
くすくす、と苦笑が聞こえた。


「ともかく、お前が生きているなら私はどう思われてもかまわない」
「なんて言ってお前に手を差し出すのは、確かに、ただの私の偽善だよ」
「だけど、お前に死なれてしまったら源次郎に向ける顔がないからね」
すらすらと、耳触りのいい音が聞こえてくる。



「私を怨むことでお前が生きるのなら、存分に怨むといい」
ただその人は、全てを包むかのように笑っていた。



それに比べ、自分はなんと愚かなことか。


やりきれなくて、
情けなくて、
悲しくて、


「それはなんとも、可笑しな話でございますね」
なぜか、笑っていた。


「久し振りにお前の笑顔を見たな」
すこし驚いたように、信之様が言った。
まあ、自分でも笑うのはしばらくぶりだという自覚はある。



「そのように笑っている方が、源次郎も喜ぶだろうし、私も嬉しい」
信之様は、やっぱり無邪気そうな笑顔で、そう言った。








幸村様が見れなかった未来を


徳川が作る世の中を


ただ、なんとなく、


もう少し見ていたくなった。








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あとがき。
なんだかとーっても長いこと書いてた気がします。
いつぞやかに携帯日記で言っていた信之さんメイン?の話です。
小松さんは信之さんの妻で、忠勝の娘です。
ちまちま書いてたやつなので、なんだか信之さんのキャラが安定してませんが…。
そして相変わらずヒロインさん、信之さん共に年齢不詳です(笑)


090113  緋桃