「あの…真田さん大丈夫なんですか?」
窓から見下ろした広場では、慶次さんと旦那さんこと真田さんが対峙している
さっきから、一方的に真田さんがこけている…ように見える
「あー、旦那なら心配いらないよ
 甲斐に居るころは毎日大将と殴り合ってたから」
佐助さんは特に心配した様子もなく、相変わらずの軽い調子で答えた
「はあ…」
「ああ、大将っていうのは、武田信玄公ね」


武田信玄といったら、
(小学生だって知ってる超有名武将じゃん)
そんな有名人と真田さんが殴り合ってる光景は…私の力では想像できなかった





春色梅暦        女郎花月





「お、旦那やるー」
佐助さんが窓の外を見降ろして言った
それにつられて私も覗き込むと、ちょうど慶次さんが立ちあがるところだった
(ついさっきまで、慶次さんが優勢だった気がしたんだけど)
それから、また二人はくっついたり離れたりしながら喧嘩を続ける
今度はほぼ互角、といったところだろう
「ていうか…あれほっといていいんですか……」
今や兵士さんたちは遠巻きに見ているだけで、だれも二人を止めようとしない
(というかむしろ、止められないんだろうな…)
「うーん、大将とのアレも止めるのはいつも俺様の役割だったしなあ…今回も俺様なのかなあ…」
佐助さんは、心底いやそうな顔で言った
はあ、と諦めたように溜息を吐いて、彼はがしがしと頭をかいた
「しょうがない、誰かが止めないとあのまま殴り合ってそうだし、ちょっくら行ってくるよ
 ちゃんは…ここで待ってて」
そう言う佐助さんの顔はこころなしか疲れきっていて、
(普段から苦労してるんだろうな……)
ちょっと同情してしまった
「あの…私に手伝えることとかありますか?」
私の言葉を聞いた瞬間、佐助さんは一瞬呆けた顔をして、
「そう言ってもらうとすごく助かるよ、ありがとう!
 ところで、ちょっと無茶する感じになるけど、いいかい?」
「え?」
どういう意味で?と尋ねる間もなく、佐助さんは私を小脇に抱えた
「ちょ、さ、佐助さん?一体何を…」
佐助さんは私の質問に答えずに、親指と人差し指をくわえて、口笛を鳴らす
ピィーっと、高い音が鳴ったと思うと、5秒もしないうちにバサリ、という羽音が聞こえた
(ん?羽音?)


そこからは、何が起こったのかよく分からなかった
よく分からないうちに、いつの間にか私と佐助さんは空を飛んでいた
「えええ…!?」
眼下には、未だに拳を交える慶次さんと真田さんの姿
首を曲げて上を見ると、佐助さんの顔と、大きな鳥が見えた
(鳥?…鳥!?)
私を抱える方とは逆の手が、その鳥の足へと延びている
つまり、私たちを空中で支えているのはこの鳥の足のみということになる
「ちょ、こっわ!こっわい!!」
「大丈夫だから、あんまし暴れないでねー」
佐助さんは何事もないようにへらへらと笑っている
(でもさ!でもさああ!!)


「このあたりかなー」
そう佐助さんが言うと、高度がゆるゆると下がる
そこは、ちょうど真田さんの真上あたり
慶次さんに集中してる真田さんは、当然私たちには気付いていない
「旦那−!」
「!? 佐助っ?」
佐助さんが大きな声で真田さんを呼び、私たちに注目を向けさせる
「ほら、ちゃんと受け取ってー!」
そんな声が聞こえたと思ったら、私の視界がぐるんと回る
「え?ちょ、あああああああ!!」
佐助さんに投げられた、と分かったのは数瞬後
まるで女の子らしくない悲鳴を上げて、2秒にも満たないダイブは、
「ふごっ…!」
真田さんの必死なレシーブにより終わった
無我夢中で抱きついてしまった真田さんは、勢いをこらえきれずにそのまま二人して倒れる


まあ、単刀直入に今の状態を言うと、
私の下に、真田さんがいて、
まるで、私が押し倒した…みたいな?
(なんというベタ展開!)
「ああああ、あの  すみませ」
私が退くよりも、お詫びを言うよりも早く、
「は…はっ破廉恥でござるうううう!!!!」
目の前にあった真田さんの顔が真っ赤になって、
はれんちと叫んで器用に私の下から這い出した
十分な距離を取って縮こまるその姿は、まるでおびえた子犬?のようで
(子犬にしてはずいぶん大きいけどね……というか、はれんちって…)


そのとき、背後ですたん、と小さな音がした
振り向くと佐助さんが立っていた
さっきの鳥は、はるか上空をくるくると回って飛んでいる
佐助さんは私に背を向けて、その向こうに見える慶次さんに話しかけた
「ま、そろそろお開きってことでどうだい?前田の風来坊」


慶次さんの返事の代わりに、キィ、と甲高い夢吉の声が聞こえた






***






あれから、何故だかよく分からないうちに真田さんの宴会に招かれて、
いつのまにか日も暮れて、
「まあまあ、泊まっていきませぬか、いいでしょう幸村様?」
そう言って城主の真田さんを圧倒する女中さんの話を断る口実も思いつかず
結局、私は今、真田さんのお屋敷の空き部屋?と思われる一室にいる
敷いてもらった布団に入ることもせず、座って灯台の揺れる火をぼんやりと見ていた
(慶次さんは松風預けてあるからーって宿に行っちゃうし)
どうにも手持ち無沙汰で、ため息ばかりが出る
(真田さん、まだ昼間のこと怒ってるかな…)
あの破廉恥発言のあと、真田さんに露骨に避けられてる
宴会のときだってあからさまに目を逸らされたし、
(悪いのは私…なんだろうか?)
(ていうか素直にへこむ……)
「どう思う?夢吉…」
慶次さんが置き土産として私に託したその小動物は小首を傾げるだけだ
無言の相方に、いよいよネガティブになってくる
(そういえば、慶次さんと離れて夜を過ごすのは初めてだ)
いつも気楽そうなあの顔が、今夜は見られない
(なんでこんなに、寂しい?)
こっちに来る前は一人で寝るのが当たり前だった


(あーだめだ)
あっちの頃のことは思い出すべきではない、とその直後に思った
(特に、こんなテンションの時にはね)
しかし、もう頭の中では思い出が再生され始める
家族、友達、それから、通いなれた通学路、そして、私をこっちに連れて来たあの子
(あーあ、何やってんだか…)
はあ、と何度目かの溜息をつく
夢吉は、と辺りを見回すと、枕もとですでに丸くなって眠っている
(あんまり眠くないな)
というより、眠れる気分じゃない、という方が正しいのだけれど


障子をそっと開けて、縁側に出てみる
月が明るい
「今更ホームシックとか、笑えないよね、マジで」
そうやって呟いてから、何となく膝を抱えて月を見上げる


「向こう」で見るより、明るい気がした







***






あの子には悪いことをしてしまった、と思う
(ま、旦那を止めるためとは言え、投げちゃったしね…)
廊下をするすると歩きながら、俺はそんなことを考えた


思い出すのは、昼間のこと
ちゃん本気でびびってたしなあ…)
他人の不幸は何とやら、思い出すと軽く笑いがこみ上げる
(ていうか、まだ、)
自分は彼女が本当に乱破の類ではないと信じたわけでは無い
そこまで考えた時に、自分の主の館だというのに気配を消して歩いている自分に気付いた
(忍びの性分ってのは、どうにも厄介だねえ)
わざと大げさに溜息をついて、気を紛らわせる
これからあの子の様子を見に行こうとしているのも、ただの自分の自己満足に過ぎない


(旦那にでもばれようものなら、なんて言われるか…)
きっと夜分に女子の部屋に行くとは破廉恥だの何だの言うに違いない
彼女に当てられた部屋のふすまに手を掛けながら、そんなことを考えた


素直に寝ててくれたらとてもありがたかった、んだけど…


少し開けた隙間から見えた布団はもぬけの殻


その情報を確認したとたん、自分の心が一気に冷めていくのが分かった
素早く部屋の中に体を滑り込ませる
灯台の火はついたまま、布団の枕もとでは彼女と一緒にいた子猿が寝ている
やっぱり、あの子の姿は見当たらない


(いや、落ち着け)
まだ乱破だと決まったわけじゃない
ただ、厠に行っただけかもしれない
一呼吸して、改めて部屋を見回す
縁側に面した障子が小さく空いていた


思いっきりそこを開けた俺の目に飛び込んできたのは、予想だにしなかった光景だった






***






きしり、と背後で音が聞こえた
(背後…って、私の部屋?)
恐る恐る振り返ると、そこには、
「あ…佐助、さん」
フェイスペイントも服装もそのままの佐助さんは、障子を開けた態勢のままピタリと止まっている
しかし、見開かれた目だけは、だんだんと落ち着きを取り戻したように細められていく


そんな佐助さんを私のあいだにたっぷり5秒の時間が流れてから、不意に、佐助さんの手が私に伸びてきた
何か、と思う間もなく、その手は自然に私の頬に止まる
「…はっ!?」
一瞬遅れて身を思いっきり引く
その勢いで後ろにずり下がろうとして、お尻の下の床の感覚が消えた
(あ、)
落ちる、と思ったのと視界が傾くのが同時で、佐助さんの手が私の腕を掴んでたのが瞬きを一つした後だった
「危ないなあ、ちゃん」
くい、と軽く濡れ縁に引き上げられる
「大丈夫?」
しゃがみ込む私に、佐助さんが目線を合わせて問いかけてくる
「びっくりした…じゃなくてっ、…なっ…ちょっ………ええっ!?」
(こここ、この人、さっき…何を…)
佐助さんの顔を凝視すると、彼は申し訳なさそうに目尻を下げた
「あー…びっくりさせちゃってごめんね
 俺様だってびっくりしたんだよ、ちゃん泣いてるんだもん」
「…泣いて……?」
(泣いた覚えなんて、無いんだけど)
そう言われて自分の頬に手を当てると、確かに濡れている
「…あれ?」
(いつの間に?)
自分の濡れた手をぼんやり見ていると、佐助さんがため息をついた
「あららー自覚無しかー…」
厄介だねえ、と彼は軽く呟いてから、へらりと笑った
「何にせよ、そーいうときはぶちまけた方が楽だよ」
(ぶちまけるって、何を?)
(誰に?)
「…何も、知らないくせに」
ぽろりと口から出た言葉は、存外にとげとげしかった
「確かに俺様はちゃんの事情も風来坊の事情も、なーんにも知らないけど、話を聞くくらいはできるからさ、
 俺様で良かったら聞くよ、愚痴でも何でも」
こー見えても口は堅いから、と佐助さんは付け加えた






***






ぽん、と頭に手を置いてあげると、俺から目をそらして彼女はぽつぽつとしゃべりだした
「ただのホームシック…家が懐かしくなっただけです、たぶん」
「でも、家に帰ろうと思っても、帰る方法が分からないんです」
「それで、慶次さんにお世話になってるんです」
「きっとすごく邪魔なのに、あの人は何も文句を言わないんです」
「何も、言ってくれないんです」
「それがなんだか、すごく申し訳ないんです」
「でも、今の生活が大変だけど楽しくて、」
「私は家に帰りたかったはずなのに、」
「いつの間にか、こっちの方が楽しいって思い始めちゃって」


「どうすればいいのか、分からないんです」


未だに俺に目を合わせようとしないちゃんは、無表情のまま
自分は、うん、とか、へえ、とか適当な相槌を打っていたが、実際、意識は話している彼女の様子にも向いていた
その言葉の端々から、挙動一つひとつから、彼女の素性を暴こうとしていた


嘘をついてはいないか、
言葉の訛りはあるか、
何を、考えているのか


そうして最後に、心の中でそっと、目の前の娘に謝った
(ごめんね、ちゃん)
(君の話を聞き出すために、同情するような真似をして)
本当は、
(俺は同情なんて、そんな高尚な感情を持てるような人間じゃないのに)






***






本当になんとなく、胸の中にあったものを吐き出してみると、それは意外とどろどろしたものであるようで
自分でも軽く驚いた


私としては話を終えたつもりなんだけど、さっきまで相槌を打っていた佐助さんは沈黙してしまった
(呆れられちゃった、かな)
「あの、佐助さん…?」
そっと声をかけてみると、
(え、)
ぐるん、と視界が反転した
相変わらず佐助さんは私の目の前にいるけれど、その佐助さんの向こうには庇が見える
そして、背中の堅い感触と、腰のあたりに何かが乗っている重み
(ひ…ひさし?と床…?)
ということは
(まさか、まさかのまさかで…?)
つまり、平たく言うと、世間一般で言うところの、
(お、おおおおおお 押し倒されてる…!?)
恐る恐る佐助さんの顔を見上げるが、逆光で真っ暗で、表情も分からない
「あ、え、えっと、あの、」
焦るばかりで、変な声しか出ない
ていうかなんて声をかけていいかも分からない
私の混乱が最高潮に達したとき、
ちゃんさぁ、」
上から、佐助さんの声が降ってきた
さっきより低いその声に、初めて、怖い、と思った
「油断しすぎだよ」
佐助さんの手は私の両肩をしっかりと床に縫い付けている
「ひ、」
いよいよ背筋がぞくぞくする感覚に、うまく声が出なくて、空気の抜ける音しかしなかった
(な、何で何で、何でこんなことに…?)
するり、と音もなく佐助さんの顔が近づいてくる
私にはどうしようもできず、目をきつく閉じた
暗闇の視界の中で、
(いち、に、)
「さ、あでっ」
さん、と数え終わる前におでこに小さく、鋭い痛みが走った
「え?」
何事かと目を開けると、目の前には相変わらず佐助さんの顔
だけど、
「はははっ、」
佐助さんの軽い笑い声が聞こえた
そして私の額に攻撃を加えたであろう指もそのままだ
その形はまさしく、
「で…でこピン?」
(な……何故)
「あの、えー、さ…すけ、さん?」
さっきから状況についていけなさすぎる
すると佐助さんは、ごめんごめん、と言いながら私の上から退いた
やっと月明かりで照らされたその顔は、人当たりの良さそうなものだった
ちゃんの反応がおもしろかったからさー、つい」
「つ、ついって何ですか…」
(本気で怖かったんですよ、…ちょっとだけ)
私が体を起こすと、また佐助さんは一通り軽く笑って、私の隣に座った
「でもね、ちゃん」
くるり、と感情が読みづらい瞳を私に向けて、佐助さんは静かに話す
「一歩でも間違えれば、ちゃんはそーいう目に遭ってたかもしれないんだよ」
そういえば、慶次さんもそんなことを言っていた
ちゃんがどういう経緯で前田慶次と会ったかは知らないけど、
君みたいな世間知らずな女の子が一人で旅ができるほど、この世間は甘くないよ」
私だって、それは重々分かっている、つもりだ
「こうして前田の風来坊と無事に旅をしてるっていうのは、ちゃんの運が良かったって思えばいいんじゃないかな」
佐助さんが薄く笑いかける
「まあ、いつちゃんと風来坊が分かれるかは分からないけど、その時にできる最善を尽くせばいいんじゃない?
 後になってその選択を悔やむような、自分を否定するようなことはしないでさ、」
自分がどんな表情をしているかよく分からないけど、彼は少し申し訳なさそうに、無責任かな、と小さく零した
「前向きに考えなよ、―ってかなりありきたりな言葉だね」


彼が私を元気づけようとしてくれたことも分かる
だからなのか、彼が「ありきたり」と言った言葉が私にとって、まるで救いの言葉のように聞こえた


「いいえ…佐助さん、ありがとうございます」




そうして、やっと私たちは笑い合えた












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ホント、長くてすみません… もう7話か…(091102)