トシとまつ姉ちゃんをなんとか振り切って、やっと前田の領地の郊外まで来た


それにしてもまつ姉ちゃん恐かったな、と来た道を振り返る
鬱蒼と茂った木々の間から金沢城の天守閣がちらりと見えた
(ここまで来て、縛らないで欲しいなあ)
「な、夢吉」
肩にのる小猿に同意を求めると、彼はキィ、と小さく鳴いた


雑木林の間の細い道を、一人と一匹は歩いていく






春色梅暦    雪消月











反射的に瞑った目を開けると、そこはいつもの夢の風景だった
(ああ、夢だったのか)


起きたらまたお母さんに同じ事を言わないと、と思いつつ無意識に心の中でカウントを始める


…二十八、二十九、三十


三十秒数えても、いつもの声は聞こえなかった
その代わり


「アンタ、どこの人?」


背後から話しかけられました
振り向くと、派手な格好をした男の人、とその肩に小猿が一匹
私の顔を見た男の人が、…ねね?と言った
「…ねねって何ですか」
「あ、いや、何でもないんだ
 それより!アンタ、どっから来たんだ?」
気になって聞き返したら男の人はごまかすように笑ってまた同じような質問をしてきた

「あの、ええと………が、学生です」
しまった、どこって聞いているのに身分を答えてどうするんだ自分
男の人はそれを聞いて、
がくせい、がくせい……そんな所ここらにあったかなァ、と呟いた
肩に乗っている小猿は男の人と同じポーズをしてキィキィ言った


一人と一匹はしばらく唸った後、まあいいやと結論を出した(いいの!?)

「変わった着物着てるけど、女の子がそんなに足出すモンじゃないよ」
男の人が変わった着物と言ったのは多分学校の制服のこと
(私に言わせれば、あなたの服の方が変わってる)


はあ、と曖昧に答えると彼は私の手を握ってどんどん歩き出す
「こんなところで何やってたか知らないけど、もうすぐ日も暮れるし俺が送ってってやるよ」
その…がくせい?ってところがどこにあるか知らないけどさ、と笑って付け足した


「俺の名前は前田慶次!お嬢さんは?」
あまりに彼が腕を強く引くものだから少し痛くなった
(知らない人に着いてっちゃいけないのに、この人のペースに流される)


(痛い?)


嫌な予感がした


(いつもの夢と違う)


そう、いつもならとっくに目が覚めている


(これは、本当に、夢?)


夢に決まっている


(じゃあ何で、手を引かれて痛いと思う?)


でも、非現実的すぎる






開いている方の手で、頬をつねった


「わわ!何やってんだ!」

驚いた男の人に止められたけど、確かに痛かった



(これは、夢なんかじゃない)
それは現実の痛みだった


(夢、じゃない)



視界が、だんだんと黒に侵食されていく



『お願いします』


真っ暗になった世界で、あの少年の声を聞いた気がした







***




道の真ん中に立っていた子は、とても変な着物を着ていた
後ろから声をかけると、びっくりしたようにこちらを振り返った(驚かせちまったかな)


「…ねね?」
本当に、無意識に言葉が出た
(何を言っているんだ、俺は)
驚きと後悔が広がる


不安そうな顔も、
ねねとは何だと聞き返す声も、
全く違うじゃないか


(それに、彼女はもう、)


どこから来たのか聞くと、その子はがくせいと言った



がくせいなんて場所は知らない
でもこんな山道で女の子一人放っておけるわけない(しかも変な着物を着てるときたもんだ!)


腕を取ってとりあえず歩き出す
いくら領地の端とはいえ、まつ姉ちゃんやトシが追いつかないとは限らないし


前田慶次、と名乗ってから相手の名前を聞いたが、返事がこない
(ちょっと強引過ぎたかな)
足を止めて振り返ると、その子は自分の頬をつねっていた


「わわ!何やってんだ!」

慌ててそれを止めると、彼女は二言三言呟いてから急に倒れてしまった


「うわっ!と」
地面にぶつかる前になんとか彼女を支える
「おい!アンタ、大丈夫か?」
軽く揺すってみても、夢吉がその青白い頬を叩いてみても気がつかない
(何だってんだ、一体)


早くしないと、本格的に日が暮れ始めてしまう
夜道はできるだけ避けたいものだ


(ま、袖振り合うも多生の縁って言うしな)
よっ、と勢いをつけて彼女を持ち上げた


「んじゃ、行くとしますか」

肩の上の小さな相棒はキィ、と鳴いた




***




夢を見た


いつもの雑木林の夢じゃなくて、広いお屋敷にいる夢だ
私の目線はいつもより低くて、まるで子供時代に戻ったようだった
私はそのお屋敷の立派な庭の茂みを掻き分けて歩いていた


「どこにいるのー」


ちょっと涙声な声が出た
(誰を探しているんだろう)
「自分」なのに分からない 自分が「自分」じゃないみたいだ


(じゃあ、「これ」は誰?)


その時、目の前が真っ白になった





***





「!」


目を開いて飛び起きると、見慣れない部屋だった


窓だと思われるところにつけられている障子の隙間から日光が細く入り込んで私の顔に当たっている


その部屋は畳の部屋で、中央にある布団に私は寝かされていて
部屋の隅に小さめの箪笥や低い机が置いてある
もちろん見覚えはない


手元の方でキィキィと小さく鳴く声が聞こえた
目線を下に下げると、そこには小猿が一匹


(ここはどこ?)

個人的には、夢の続き希望です



「おっ、目ェ覚めたか」
部屋を見渡していると、襖が静かに開いて派手な格好をした男の人が入ってきた
この人は知ってる
名前も聞いた気がする
確か…
「前田、さん?」
もしかしたら間違っているかも、と遠慮気味に呼んでみる
「名前覚えてくれたんだ!嬉しいねえ!」
でも慶次でいいよ、と言って男の人―慶次さんは私がいる布団の隣に座った
小猿くんが慶次さんの肩の上にするすると登った
「こいつは夢吉ってんだ」


きちんと布団から出ようとすると、そのままでいいと止められた
「いやー急に倒れちゃうんだもんな、驚いたよ」
慶次さんが言うには、私はあの山道で倒れて、慶次さんがこの宿まで運んでくれたらしい
(やっぱりアレは夢じゃなかったんだ)
「じゃなくて!あの、ご迷惑をおかけして本当にすみません!」
そう言って頭を下げた
「いいっていいって!この宿屋は馴染みなんだ ほら、頭上げて」
急かされて頭を上げると、慶次さんが困った顔で笑っていた
「そういうの、馴れてないんだ」
「でも…」
「いいから!それより、何ていうんだ、名前」
慶次さんがにこにこと笑って聞いてきた
といいます」
「姓があるのか?」
「え、まあ、一応」
「ふうん」
そう言って少し考える素振りをしてから、慶次さんは興味津々そうに身を乗り出してきた
「ところで、はなんであんなところにいたんだ?」
(いきなり呼び捨てですか…まあいいけど)
「なんで…と言われましても……」


気付いたらあそこにいた、としか言い様がないのですが


言い澱んでいると、慶次さんはバツが悪そうに鼻の頭をかいた
「あー、言い辛い事ならいいんだ、人それぞれ、事情ってモンがあるしなァ
 でもこんなご時勢に女の子が一人山の中っていうのも危ないよ」
「それは、すみません……って、こんなご時勢?」
山の中が危険なご時勢ってどんな時勢なんだ
(熊が出るとか、そんな感じですか)
「だって今は戦国の世だろ?山賊なんてそこらじゅうにいるし、国境ときたらさらに危ないもんさ」
「戦国…」
「そ、今この世は戦国乱世、だろ」


………、
「……いやいやいや、何のドッキリですか、それとも冗談ですか?」
「どっきり?…冗談は言ってないんだけどなあ」


いやな予感がする
「あの、慶次さん」
「ん?」
「私……ひょっとしたら未来から来てしまったのかもしれません」


「…………………」
「キキ?」


夢吉の声がやけに大きく聞こえた













「で、気が付いたらあそこにいた………ってことかい」
「はい…たぶん」


自分で説明してても支離滅裂だと思った
確信も持てない
(嘘だとか言われても反論できないよなあ)
そう不安に思っていたら、


「ふーん……そんなこともあるんだな」
慶次さんはとても暢気そうに言った (え、信じちゃうの!?)
思わず慶次さんの顔を凝視した


たぶん今私すっごい間抜けな顔してる
「え、何?俺なんか変な事言った?」
私の視線に気付いた慶次さんが慌てたように言った
「いえ、そうじゃなくて
 慶次さんから見たら、私は山の中にいた変な格好した小娘ですよね
 そんないかにも怪しい感じのヤツの話をそうもすんなり信じてしまうので、
 あの、ちょっと驚いただけです」
私がそう言うと、慶次さんはあっはっは、と笑い出した
夢吉も同じような仕草をしている


「え、あの、」
今度は私がうろたえる番だった
すると慶次さんはまだ笑いながら、ごめんごめん、と言った
が必死だったものだからつい」
「いや、そこ笑うところじゃないですよ」
「あーまあ何て言うか、俺はそんな服見たことないし、嘘ついてるようには見えないし
 あとは…俺の勘かな」
夢吉も懐いてるみたいだし、と慶次さんは付け足した


「…………はい?」
一瞬何の話か分からなくなる
「だから、信じる理由
 分かったかい?」


「……はい」
何か少し恥ずかしかった








「で、はこれからどうするんだ?」
「どうするって言われましても…」
もちろん戦国時代に知り合いなんていない


「……がいいならさ、俺と一緒に行くかい?」
「え、……ど、どこにですか」
突然の提案に、思わず訊き返す(訊くポイントずれてないか、自分)
「いろんな場所さ!北も南も東も西も」
慶次さんは楽しそうに続ける
「なんたって俺は風来坊だからね」
「はあ、そうですか……って、それはたぶんきっと恐らくすごい邪魔になるんじゃないでしょうか、私」
むしろ足手まとい決定、みたいな(あ、自分で言っててちょっと悲しくなってきた)


「そんなことないさ!まあ、がよければ、の話だけどね」



たぶんこれは大きな分かれ道
じゃあ他の選択肢は?
働く?バイトもしたことない私が?
それ以外の道は?
ああ、最初から道は一つしかなかったんじゃないか


「慶次さんがよろしいのなら……お世話になります」




***




「あー、これなんかどうだい?」
そう言って慶次さんが広げた着物は上等そうな真紅の生地に金色の刺繍がしてある着物だった
嬉しそうな慶次さんを無視して私は着物屋の店員さん(って言うのかな)に話しかけた
「すみませんあの人の意見は全て無視で、なるべく動きやすくて安いものをお願いします」
「…かしこまりました」
店員さんは、そう言ってうなずいた
その顔がちょっと引きつっていたのは見間違いじゃないと思う



慶次さんについていくことになった私は、服を買いに来ていた
もちろん、お金は慶次さん持ち


「非道いなあ」
「慶次さんが選ぶものはどれも派手すぎるんですよ
 あんな着物、成人式でだってなかなか見ませんよ」
それにあんな高そうな物、どうやって買うつもりだったんだろう
そんなにお金持ってるのかな
「せいじんしき?」
「えっと……大人になるための通過儀礼みたいな…」
「ああ、元服のことかい」
「まあそんなものです」


結局、濃い藍色の旅装束(と言うのか)を買ってもらった
袴みたいになっているおかげで、歩きづらいということはない
「ありがとうございます、慶次さん」
「いーっていーって」
でももうちょっと派手でもよかったのになあ、と慶次さんはつぶやいた



一度宿に戻って身支度を整えると、荷物を持って私たちは馬屋(?)に向かった
「よーおっちゃん」
入口で慶次さんが挨拶すると、奥からおじさんが出てきた
「お、慶ちゃんまた来たのかい」
「おう、なんてったって俺は」
「風来坊だからねえ、ってか」
「おいおい、俺の台詞を取らないでくれよ」
あっはっは、と二人で笑ってから、おじさんは私に気付いたようだ
「おや、そちらさんは?」
「えっと…何と言うか……」
ちらり、と慶次さんに視線でヘルプを求めた
「一緒に旅することになった、っていうんだ」
「へーえ、慶ちゃんのコレかい?」
そう言って小指を立てるおじさん
古いなあ…


「まったく違います」
とりあえず、すぐに否定しておいた




「松風だろ?元気にしてるよ」
「いつも悪いねえ」
おじさんが一度馬小屋の奥のほうに消えた
「…っと、馬、乗れるかい?」


「無理です」








***




「いや、ちょ、怖い怖い怖いマジいやだ」
「大丈夫だって、慣れればすぐに楽しくなるから」
今、私はなんと馬上の人になっています
うん、超怖い
馬の上って高い、そして不安定!
慶次さんの愛馬、松風に乗っています
慶次さんが綱を持ってくれていますが、怖いです非常に


「振り落とされませんか私、大丈夫なんですか私!」
「馬は乗る人選ぶっていうけど、堂々としてれば大丈夫だって!」
「ちょ、前半部分!」


ていうか日本の馬って脚短いんじゃないの!?
松風サラブレッドみたいなんだけど!超美脚なんだけど!


夢吉が指定席と言わんばかりに松風の頭の上に乗っている
怖くないのかな…
ときどき、松風が私をちらりと見る(気がする)
ごめんね、こんな初心者が君みたいな立派な馬に乗ってて
お願いだから振り落とさないでね、本当に!



「あーそうそう、そんな感じ!うまいうまい」
「ちょっとだけ馴れたような気が…しないでもないです」
とりあえず歩けるようになったよ、まだ怖いけど


「よし、じゃあちょっと前につめて」
「あ、はい」
何をするのかと思ったら、慶次さんは、よっ、と勢いをつけて松風に、私の後ろにまたがった

「え、けけけ慶次さん!?」
馬の2ケツってありですか
が一人で馬に乗ったり降りたり、走らせたりできるようになるまでな」
慶次さんが手綱をつかみながらそう言った
あ、それたぶん無理ですね


「で、どこに行くんですか」
「とりあえず奥州かな、飛ばすよ」
え、と聞き返す前にぐん、と速度が上がった



私の絶叫と松風の軽快な足音がなんとも言えない不協和音になって尾を引いた




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見切り発車バサラトリップ2話…です… なんか長くてごめんなさい… (080419)