定期テストも一段落した、ある日の放課後。
人気のなくなった教室で、私の目の前で頭を抱える男が約一名。




「すいへーりーべ、ぼくのふね…水兵のリーベ殿の船ということでござるか」
「いや、まったく違うから」


熱血少年と形容するにふさわしい腐れ縁の友人、真田幸村は化学の問題集を凝視していた。
「あのさ、なんでこれだけの元素も覚えられないで1年の化学乗り切れたの?」
そう声をかけると、彼は顔をあげて私の目をまっすぐに見た。
「問題集にあったのだけ覚えたんでござる…」
今回は範囲が広くて無理でござった、と幸村は特徴ある口調で続けた。
(…よくもまあ…それで何とかなったと褒めたいとこだけど……)
「…とりあえず、化学は丸暗記だけでなんとかなる科目じゃないの」
「うむ…」
そしてまた、問題集を凝視し始めた。
(答えが浮き出てくるってわけじゃないのに)






私がこの男に化学をマンツーマンで教えることになった経緯は、すこし前にさかのぼる。


最後のテストも終了し、さあ家に帰ろうと鞄を手に取り廊下に足を踏み出した矢先。
ちゃーん」
「うげっ…佐助……」
そこに待ち伏せていたのは、幸村と同じく腐れ縁の猿飛佐助だった。
ちなみに、1コ年上の3年。
「人の顔見てそのいいようは無いでしょー
 それに、俺様3年、ちゃん2年」
そんな上下関係もへったくれもないだろうと思いつつ、私は猫を被った。
「何かご用ですか、猿飛先輩」
「ちょっと頼みごとがあるんだけど」
そう言って佐助が切り出した話を要約すると、こういうことらしい。


幸村の化学の成績がまずいらしい。
(まあ、他のもどうだか知らないけど)、
今日でテストも終わるので部活も再開するのだが、顧問の武田先生が今度ばかりは幸村に追試合格までの部活禁止を出したのだという。


「ふーん、それは大変だね」
「そーそー、だから、ちゃんに旦那に化学を教えてもらおうと思って」
「頑張って…ってえぇ!?」
「俺様これから部活だし、
 ちゃん理系だし、帰宅部だし、
 それじゃ、よろしくねーちゃん」
「ちょっ…待て…!」
私の制止を振り切って、佐助はさっさと姿を消した。
「…厄介事、押しつけられた」
だからあの無駄な上下関係を持ち出したのか…と思いつつ、今度あいつに会ったらまず殴ると心に決めた。


しょうがないので幸村のクラスに向かい、冒頭に戻る。











「水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム…とりあえず名前と位置だけでも覚えときな」
「うむ…」
元素周期表、と書かれたプリントを前に、唸る幸村。
これは、何と言うか、
(思ってたより骨が折れそうだ)


そんな幸村とプリントを見比べて、ふと、思いついた。



「ねえ、幸村」
「何でござるか?」
幸村が顔を上げた。


「世界は何でできてる?」
つまるところ、世界の、地球上のすべての物質というものはこの100個ほどの元素の組み合わせでできているにすぎない。
だけど、まあ、それ以外に何かあればいいなっていうただの想像。
それだけから来た思いつき。


「世界…でござるか…?
 土と木と水と空気でござろうか」
少し意味が違うかな…。


「うーん、じゃあ質問を変えよう
 幸村の世界は、何でできてる?」
「某の世界でござるか…難しい質問でござる」
「まあそんなに難しく考えなくていいよ、ただの思いつきだし
 幸村にとっては、何があれば世界は成立する?」
幸村は、眉間にしわを寄せたまま唸るようにつぶやいた。
「その世界というのは、某の生活のことでござろうか」
「んー、まあ、そんな感じ」
「成程…殿が聞きたいことがなんとなく分かリ申した
 そうでござるな…お館様と佐助、クラスの皆も忘れてはならぬ
 それに部の皆と、甘味だな」
「あは、幸村らしいね」
特に最後のが。
「ああ、大事なものが抜けていた」
「?」


幸村は、もったいぶるように一呼吸置いて、口を開いた。
殿、そなたでござる」
幸村は、当然のように薄く笑った。








世界は何でできていますか
(ああもうどうしてそんなに恥ずかしいことが普通に言えるの!?)



結果、私は全力で照れ隠しをする羽目になった。





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元ネタは、本屋で見かけた絵本のタイトルです。ちなみに、その絵本のサブタイトルは〜気体、液体、固体の話〜でした。


090303   緋桃